無個性の美学

無個性の美学

シューベルトのピアノを完璧に演奏することは、世界で最も難しいことの一つだよ🎹。特にD長調ソナタはそうだ。これまで多くの名ピアニストがこの曲に挑戦してきたけれど、どの演奏にも欠点がないわけじゃない。欠点がないと言える演奏はまだない。 なぜかわかる? 曲自体が不完全だからなんだ。ロベルト・シューマンはこの曲を「とても冗長」と評した。でも、どんな種類の不完全さを持つ作品も、その不完全さ故に、人の心を強く引きつけるんだ✨。すぐにわかるよ。人間はこの世で退屈でないものにはすぐに飽きてしまうし、飽きないものは大抵退屈なんだということを。 村上春樹 - 『海辺のカフカ』より
国境の南、太陽の西

国境の南、太陽の西

好きな気持ちはあるけど、それが何かまだ分からない少年は、ただ状況的感覚だけを使ってその感情を誠実に表現する。まだ明らかになっていない現象の周辺データを記録する科学者のように、好きな曲の英語歌詞を意味も知らずに発音通りに書き取る小学生のように、少年は自分が見て感じて想像したことを誠実に記録する。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』と作家の基本技術

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』と作家の基本技術

個人的に惹かれない本は容赦なく下す性格で、ほぼ中途退場マニアレベルです。時には本を途中で下すために読書をしているのではないかと思うことすらあります。測定針が右端まで振り切れる天上の‘T’として「読んでみれば何か良い点があるだろう」という温かい考えをしたこともありません。そんな意味で村上春樹は私にとって少し特別な作家です。
愛を語るときに私たちが話すこと – レイモンド・カーヴァー

愛を語るときに私たちが話すこと – レイモンド・カーヴァー

一般的な小説で3人以上が対話を交わす場面を見るのは簡単ではありません。その理由はシンプルで、それを文章で構成するのが難しいからです。伝えたい話だけを線形的に構成する文章が多い理由も単純で、その方法が文章を書くのに容易だからです。
ミミズクは黄昏に飛び立つ

ミミズクは黄昏に飛び立つ

望むときにいつでも文章を書き始めることはできるかもしれませんが、物語がふわふわと浮かんできて、書きたくてたまらない状態になるまで待つこと。雨を待つ傘商人のように、秋の収穫を待つ農夫のように、水面上の浮きが動くのを待つ釣り人のように、そうしてさまざまな素材が頭の中で物語の塊としてまとまるのを待つ姿勢が必要なのです。
『街とその不確かな壁』を覗いてみる

『街とその不確かな壁』を覗いてみる

好きな作家の新作を楽しむ時間は、まさに私だけの祭りの時間でした。しかし、個人的には新作の『街、その不確かな壁』は期待に応えられない作品だったと言いたいです。『世界の終わり』の物語の新鮮さは初の中編で味わい、描写のための味わい深い文体や表現は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で既に接していたからです。