映画 vs 小説、ドライブ・マイ・カー

友達のSNSタイムラインで濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』の感想を見かけた。エンタメ専門の友達はこの映画が良かったと言っていた。

私は以前この小説を読んだことがある。かなり前に読んだ『ドライブ・マイ・カー』は、村上春樹の短編集『女のいない男たち』の最初に登場する短編だった。面白く読んだものの、少し筋が通らないように感じてぎこちなかった記憶がある。嘉福(主人公、俳優)が美咲(助演、運転手)に妻と自分の深い話をする部分がそうだった。しかし、短編の特性上、速い展開が必要だったのでその程度は理解できるかもしれない。(もしかしたら日本文化では自然なことかもしれない)それ以外は—他の彼の短編のように—悪くなかった。いや、良かった。そんな理由で、少し期待する気持ちで映画を観た。

もちろん短編小説を映画にするのは簡単なことではない。ストーリーを伸ばし、叙述を加え、なかった設定や事件を付け加えなければならないからだ。そうした作業の中で、短編が持っていたしっかりとした何かは薄れ、伝えたかった内容はぼやけ、物語は退屈になる。それでも個人的には、濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』はやり過ぎだと思う。付け加えられた物語や叙述が、淡々とした平和な映像の上にポケットの中の釘のように跳ね上がり続けた。そして、それがとても不快だった。最後のシーンで喪失を乗り越えて生き続けなければならないというメッセージを伝えているが—これは村上春樹が『ドライブ・マイ・カー』で伝えたかった話とは完全に違う—そのテーマが果たして映画を貫いているのか?私にはよくわからない。

監督が村上春樹に脚本を見せたとき、良いと言ったけれど、

きっと良くなかったのだろう。

時間が惜しかった映画。


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