
出勤時間の江南駅の地下通路には人が多い。いや、とても多い。コーヒーを持って行ったり、昼に食べるキンパを買うために通路の両側の店舗の前にいる人もいるが、その時間帯の人々は大半が歩くことに集中している。もちろん私も一生懸命歩く。考えてみると通路で歩くこと以外に特にやれることもないのだ。
そんな中、白いパディングジャケットにフリルスカートを履いた女性が長い髪を揺らしながら私の右側を颯爽と抜けていった。その歩き方は文字通り驚くほど軽やかだ。生まれてからこれまで「軽やか」という言葉を数多く聞いてきたが、その言葉が意味するものを実際に目で確かめたのはその時が初めてだった。冗談抜きで軽やかだった。試しに周りを歩く人々を見回してみたが、彼女を除くすべての人々は全く軽やかに歩いていなかった。それは確かだった。むしろ相対的に憂鬱に歩いているように見えた。沈んでいた。まるで地獄の門へと歩む殺人者の魂のように、操り人形師の糸に引かれるマリオネットのように… 歩みの一歩一歩に人生の重みが感じられた。徐々に地面の下へと沈んでいくかのようだった。見ていると肩が落ちた。自分の歩く姿は見えないが、私もおそらく似たように歩いていたのだろう。しかし、彼女だけは違っていた。私はこの軽やかさの源が何なのかを知りたくて彼女を観察し始めた。✨
まず彼女の視線は、一言で言うと固定されていなかった。周りを軽く見渡すが、どこかに留まったり心を寄せたりしない。まさに羽毛のように軽やかに周囲をかすめていく視線だった。次に手の動きだ。彼女は他の人々のようにどう動かすかわからずに脇にくっつけたり、ポケットに押し込んでいるわけではなかった。ホットパックを持っているが、寒さで凍りついたサバのように握りしめるのではなく、軽く弄りながら揺らしている。それはまるでホットパックではなく、羽のようだった。その軽やかな動きを作り出しているのは手首のスナップであり、その原動力は力ではなくリズムだ。一定のパターンがないリズム。そのおかげでホットパックは世界にない創造的なパターンで予測不能に動いており、そのダイナミズムのおかげで1時間でも飽きずに見ていられる気がした。🌀
最後に彼女の歩みだ。あのような軽やかさを生み出す一等功臣はまさに脚の動きに違いない。逆立ちで歩かない限り、軽やかな歩みは脚と密接な関係があるはずだ。歩みの違いを見つける前に、あまりにも軽やかだった。彼女の歩みが軽やかな理由を探すことはモナリザが美しい理由を探すことのように不敬なことに感じられた。ただそのまま受け入れて、その感覚で止まるべきだと思った。パンドラの箱を開けても憎しみ、嫉妬、残酷さ、怒り、飢え、貧困、苦痛、病気しか飛び出してこない。💔
しかし、論理的アプローチで明らかにできない浅い現象はないという信念で注意深く観察し、最終的に違いを見つけ出した。彼女は歩くために前に脚を伸ばし下ろす前に、つま先で軽く空を蹴り上げていた。しかし私は確信している。他のどんな人も物理的な模倣で彼女と同じ軽やかさを生み出すことはできないだろうということを。
しかし私はある瞬間、彼女の独特な軽やかさの理由をこれ以上観察できなくなった。彼女がエスカレーターを駆け上がったからだ。除隊後、エスカレーターで歩かないと決心した私は、彼女が軽やかにエスカレーターの上へと歩いていくのを目で見送るしかなかった。最後に彼女の軽やかさに再び敬意を表し、世界中のすべての人々の歩みが軽やかになることを願ってみる。(もちろん不可能だろうけど…)🌍✨