
大学時代、歌うサークルに加入していた。毎年コンサートがあり、チームごとに、またはソロでエントリーが埋まっていた。私は一生懸命ではなかったが、ちゃんと参加していたと思う。選曲はあまり気に入らなかったが、特に意見もなかった。目立つのが苦手な、どこにでもいる影のような存在、それが私だった。
卒業してからも時々友人とサークルのコンサートを見に行った。忙しかったけれど、夕方に少し時間を作ることは不可能ではなかった。学校はいつ訪れても、まるでピクサーの鉛筆画のように、変わらなかった。何度も行き来した理科大の道に沿って床に貼られたコンサート会場の位置表示は、過去に戻るワームホールの案内線のように見えた。その道の終わりには小講堂があり、コンサートを準備する後輩たちがいて、時間が止まったかのようなその時代のプールの中に私たちがいる。
それが卒業後どれくらい経った頃だったのかはよく覚えていない。前年は忙しくて行けなかったため、行く途中でかなり久しぶりだと思った記憶がある。コンサートのテーマは少年時代で、指揮者と総務のコンサート開始宣言とともに始まった。他の人には不格好で未熟に見えるかもしれないが、そこにいた後輩や私たちにとっては、どんなときとも比べられない真剣な瞬間だった。照明が点いたり消えたりし、ステージが再配置され、様々なチームのパフォーマンスが進行したが、登場人物の中に知っている顔はなかった。いつもそうだった。コンサート前まではチケットとパンフレットに印刷された学年と名前が情報の全てだからだ。
コンサートが終わり、互いにぎこちなく挨拶する私たち。毎回先輩たちにコンサートを見に来るように連絡するが、実際に来ることは稀だ。私がコンサートをしたときも先輩が来たことは一度もない。そう考えると、私たちはちょっと変わっていたのかもしれない。共通点といえばサークルの名前だけの見知らぬ後輩たちと一緒にアフターパーティー会場に向かう道がどんなにぎこちないことか…
ここに座ってください
指揮者とともにコンサート開始を告げた彼女はにっこり笑いながら自分が総務だと言った。私たちは彼らと一緒に隅のテーブルに座り、席にはすぐにおつまみとお酒がセットされた。お酒が苦手だと言ったらにっこり笑いながらアルコールを和らげるドリンクを渡してくれる彼女。「これを飲めば心配ないんですよ」と言ったが、やはりそんなわけもなく、一緒に行った友人はその日私を家に送るためにとても苦労した。
その後、彼女と時々連絡を取り合って過ごした。彼女は数年後に卒業し、会社に入り、留学を経て結婚した。あるいは結婚してから留学に行ったのかもしれない。そして、昨年の末に仕事で汝矣島のビルを訪れた際、ロビーで偶然彼女と出会った。久しぶりに会った彼女は一児の母になっていたが、あの頃の小さな子供のように私の前でにっこり笑っていた。誰であれ初対面のときの印象やイメージは非常に鮮明で、どれだけ長い時間が経っても簡単には変わらない。そしてその対象は再び出会う瞬間、それがいつであれ、以前のあの時に私を引き戻す力を持っている。
彼女は自分のアジトを紹介すると言って、かつての私をコンサートのアフターパーティー会場に案内するように会社近くの図書館型カフェへ向かった。そこは文学の出版社が運営する場所で、個人的にその出版社の世界文学全集が好きだ。表紙が可愛い。周りで本を読む光景を見かけるのが難しい世の中になってしまったが、彼女は偉くもまだ読書を好んでおり、時々そこを訪れて本を読むと言っていた。
お茶はすぐに用意され、私たちはそれを前にして数年間のキャッチアップを始めた。あれこれ周囲の変化、サークルがなくなったというニュース、そして話はお互いの職業に移った。彼女は顧客にどのような価値を提供できるかについての悩みを語り、その中には彼女の職業に対する哲学と使命感がしっかりと込められていた。彼女はもはやあの頃の小さな子供ではなかった。
私がする仕事は大抵他人に影響を与えざるを得ない。職業の始まりが助け合いだったことを考えてみれば、互いに助けを与えるメカニズムを考慮しながら製品を生産しサービスを構成するのは当然だ。企業倫理、職業倫理がビジネス形成や利益追求よりも先立つ必要がある理由だ。共生するメカニズムは利益を伴うことになるが、その話は利益が単なる物理的なマージンよりも顧客の信頼に大きく影響されることを意味している。しかし、顧客を欺いてそのポケットからお金を取り出すことにしか関心がない人々が多いと思うので、彼女がさらに愛おしかった。138億年前のビッグバン以降続いてきた宇宙に人間が滞在する時間は100年にも満たない。そんな贈り物のような時間をどう過ごすべきか考えてみる必要があるのではないだろうか?
会社の託児所で待っている子供に会うために小走りで歩く彼女の後ろ姿を見て、その悩みへの答えを見つけてくれることを心から願った。