季節の終わり

激しい運動をして足を痛めて、1週間ほど苦しんでいた。少し良くなったかなと思っても、力を入れると痛みが雷のように足を駆け上がってきた。外を歩いている時も、座っている時も、夜に寝ようと横になった時も、その痛みは唇の端にできた水ぶくれのように私を不快にさせた。そうしているうちに、週末の午後、リビングでうたた寝をして目覚めると、スイッチが「カチッ」と切れるように、痛みは跡形もなく消えてしまった。

久しぶりに自転車を引っ張り出し、漢江公園へ出かけ、トランスフィクションの『내게 돌아와』を聴きながら、ソウルの森まで一度も止まらずに全速力で走った。この曲は歌詞を気にせずに聴くと、世界で一番楽しい曲だからね。
今年の夏は、1ヶ月間ずっと空を見せてくれなかったうんざりする雨雲、少し静まったかと思えばまた悩ませるコロナ。そして、姿勢を変えるたびに眉をひそめさせた足の痛みだけだった。どうやらこんな風に季節が終わってしまったんだなと思っていたけれど、川辺を走っていると、次のランナーである秋の空がこんなに澄んでいるなんて。


面白いことがあまりない

そういえば、私はいつもそう話していた。癖のように同じ言葉を繰り返していた。子供の頃は何をやっても未熟でつまらなかった。他人が教えるのをじっと座って聞いているのも嫌だったし、音楽もある瞬間から聴くのが退屈になり、ギターも数ヶ月間全く触らずに置きっぱなしにすることが多かった。何でも気乗りしなくて、時間はただ流れていった。そんな時は友達に、後輩に、あるいは彼女にそう話していた。面白いことがあまりないと…


周囲でも、マスクを顔に付けたまま過ごす最近の生活が人生で最高に窮屈でつまらないと言っている。しかし、私の場合、それ以前にも特に人生がものすごく楽しいと思ったことはなく、それは他の人々も大して変わらなかったのではないかと思う。そんな風に退屈に慣れてきたからこそ、最近のような時期も – 文句を言ってはいるけれど – みんな耐え抜いているのではないだろうか?

人生は退屈で苦痛の連続だけれど、思い返せば傷は癒え、痛みもいつかは消える。治らないと思っていた傷にも新しい皮膚ができ、思いもよらない微笑む出来事が起きた。もちろん、塞翁が馬と言うように、その後に何が待っているかわからないけれど、それでも『人生はいつもそんなものだよ』と軽く流してしまえば、その瞬間をしっかりと見据えて楽しむことができる。 

世界を沈める勢いで降り注いでいた黒い空が裂けて、再び青い空のかけらを見ることができるだけで、この退屈な世界を耐え抜く力を得ることができるように、少しだけ – それがどれくらいかはよくわからないけれど、それでも少しだけ – 耐えれば、きっとスイッチは「カチッ」とその状況を整理してくれるだろう。

それはそうと、2022年の秋も暮れようとしている。..

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