日付変更線とクリスマスイブの消滅

あそこの夜はここでの夜明け。そして、また別の場所の午後。

子供の頃、機械的に教科書で暗記した時差は、頭では理解できても、生活の中ではいつも不思議なものだった。

トーマス・スタフォードとユージン・サーナンが月の周回から月面を見下ろしてから40年以上が経ったが、実際の生活というのはそんな別世界の話や科学的な論理の外側にあるから。日付変更線を経度180度の地点で綺麗に引けなかったのも、科学よりもアナディリ地域の人々の生活が重要だったからだろう。

数年前の冬、日付変更線を越えてオーストラリアに行くときにクリスマスイブを失った。サンフランシスコを飛び立ったのが23日、シドニーに着いたのが25日だったので、私の2015年にはクリスマスイブが – バビロニアのバベルの塔のように – 跡形もなく消えてしまった。なんだか不公平に感じる。

‘クリスマスイブなんて一度くらいなくても平気じゃない?’

とは誰も簡単には言えないだろう。ガールフレンドや傘と違って、クリスマスイブが消えることは滅多に経験できないから。🎄

リューブロン山で一日中羊を飼う牧童が時間を1時間早めることもなく、ヴェネツィアの高利貸しがその年の最後の日をスキップして新年を迎えることもない。少なくとも地球の自転は人類が誕生して以来、かなり長い間人々の生活に大きな影響を与えていなかった。🌍

しかし、最近は色々な理由で時差や日付変更に気を使わざるを得なくなってしまった。世界がそう変わったからだ。そのおかげで移動するたびに時差を考慮するのは面倒だが、同じタイムゾーンになって気にしなくてもいい人もいる。✈️

生きることは複雑だけど、失うことと得ることがいつもバランスを取っていると考えれば、心が軽くなる。


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