
インターネットをさまよっても活字よりも映像が中心だ。YouTubeでも長い動画よりもショートばかりをざっと見る。ブログに記事を書いてはいるが、オンラインで他人の記事を探して読むことはない。写真と絵文字中心の投稿は読むというより見るに近く、AIが作り上げた無魂の文章は冒頭を読むだけで気分を害してしまう。そんなコンテンツの山中で他の人も私の記事を探して読んでくれることはないだろう。なんて時代だ。😌
久しぶりにブランチにアクセスしたら通知が来ていた。かなり前に書いたポストにコメントがついたという。誰かの大切な3分が私のポストを読むために使われた証拠。そのコメントを読んで、まるで漠然とした期待で送ったボイジャーのゴールデンレコードに対する宇宙からの返事のように感じ、そのまま自然にリンクをたどって彼女の記事を読みに行った。🌌
あるエッセイの中で彼女は日が沈む頃、近所の軽食店でキンパを買う。近くの公園に移動して、Bruno Majorの音楽を聴きながら遅めの夕食を取った彼女は、その日は特別な日ではなかったが、その時の公園の空気とその曲の調和で思いがけない小確幸を感じたという。🎶🍙
記事を読みながら「その時彼女はどんな気持ちだったのだろう?」と気になって、YouTubeでBruno Majorを検索し、一番上にあった「Nothing」という曲を再生した。するとその公園の雰囲気が、その時の空の色が、近くの静かな雑音がまるで嘘のように私の周りに浮かび上がり、彼女が感じたささやかな幸せをぼんやりと理解できる気がした。🌿
ブランチに入ってみてよかった
「Nothing」を無限ループでかけて、今年初めて窓を開けた。流れ込んでくる風が冷たくないのを見ると、春が近いのかもしれない。くそったれな地球温暖化。🌬️🌸