最近、久しぶりにHyukohのアルバムがリリースされました。名前は『愛でRemix』で、以前に発売された曲も含めてアルバムとしてまとめたようです。ファンなので、何も考えずにアルバム全体を聴くことにしました。すると、聞き慣れた声が流れ始めます。その声の主はチャン・ギハでした。🎤
昔は別れるということがこんな意味ではなかった。少なくともあの時は同じ空の下にいた。同じ惑星の上で、同じ大気を共有していた。でも今は、同じ宇宙ですらない。私の話を知る人々は何十年も私の元に訪れ、慰めの言葉をかけてくれた。それでもあなたたちは同じ宇宙の中にいるのだと。その事実を慰めにしろと。しかし私たちが光の速度で行けないなら、同じ宇宙という概念は一体何の意味があるのか?私たちがどんなに宇宙を開拓し、人類の範囲を広げても、そこに毎回、そうして残される人々が生まれるなら、私たちはますます宇宙に存在する孤独の総和を増やすだけではないか。
ナレーションとして重なる内容は、キム・チョヨプ作家の『私たちが光の速度で行けないなら』という短編小説の中の主人公のセリフでした。📚
昔、その彼女の短編小説と同じタイトルのSF短編集をとても楽しく読みました。いくつかの作品はテッド・チャンの作品に似た感じもしますが、SFというジャンルを借りて哲学的なメッセージを伝えることに集中している点や、基礎がしっかりした科学的知識に基づいて書かれたという共通点があるからでしょうね?
『私たちが光の速度で行けないなら』はディストピア的な環境で延命された科学者の人生を通じて、人が生きる理由について語っています。100年余り生きる人間の人生は相対的にダイナミックで、慌ただしく、短く見えます。そうであれば、長生きすることは本当に祝福なのでしょうか?人生の期間が延びてすべてのイベントが悠久の時間の後ろに隠れてしまい、ただ退屈、静寂、忘却だけが残るならどうでしょう?長い時間に閉じ込められて自分がなぜ生きているのかさえ忘れてしまっても、人生には依然として意味があるのでしょうか?🤔
物語の主人公は長い時間の間、夫と息子が去った宇宙の向こう側のスレンフォニア星(昔、人類が移住しようとした他の惑星)を忘れずに、その場所だけを見つめます。少なくともその場所に行かなければならないという意志を持っている限り、彼女の人生の意味は十分だからです。すでにそこに移住した夫と息子はずっと前に亡くなりましたが、もはやその惑星に移動する宇宙船はありませんが、彼女にとって重要なのは意味を与えられる目標なので、その惑星への移住を夢見続けます。🚀
個人的には同じ短編集の中の『巡礼者たちはなぜ戻らないのか』という作品もSF的な雰囲気と哲学的要素がうまく調和していた記憶があり、ぜひおすすめしたいと思います。それはさておき、チャン・ギハのナレーションを聞いていると – 内容とは関係なく – ちょっと詐欺師っぽいなと思うのですが、私だけですか?😅